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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2017号 判決 1984年4月26日

控訴人・附帯被控訴人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

青木隆蔵

外二名

控訴人・附帯被控訴人

名取光博

右訴訟代理人

餐庭忠男

被控訴人・附帯控訴人

(第一審原告兼亡第一審原告宮田真紀訴訟承継人)

宮田裕

被控訴人・附帯控訴人(亡第一審原告宮田真紀訴訟承継人)

宮田紅

被控訴人・附帯控訴人

宮田茂樹

被控訴人・附帯控訴人

宮田奈津

宮田茂樹・宮田奈津法定代理人親権者父

宮田裕

同養母

宮田紅

右四名訴訟代理人

弘中惇一郎

中井眞一郎

主文

控訴に基づき、原判決中控訴人(被告)ら敗訴部分を取消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

本件各附帯控訴を棄却する。

訴訟費用(附帯控訴の訴訟費用を含む。)は第一、二審とも被控訴人・附帯控訴人らの負担とする。

事実

第一  申立

一  控訴人・附帯被控訴人(以下単に控訴人という。)ら

主文同旨の判決

二  被控訴人・附帯控訴人(以下単に被控訴人という。)ら

(控訴につき)

本件各控訴を棄却する。

(附帯控訴につき)

原判決を次のとおり変更する。

控訴人らは、各自、被控訴人宮田裕に対し、一八〇五万一七二一円、同宮田紅に対し四〇一万七九三〇円、同宮田茂樹に対し八〇三万五八六〇円、同宮田奈津に対し八〇三万五八六〇円及び右各金員に対する昭和四二年八月一〇日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ(控訴人ら各自に対し被控訴人宮田裕が二六五万四二〇六円、第一審原告宮田真紀((その相続人である被控訴人宮田裕、同宮田紅が各二分の一))、被控訴人宮田茂樹、同宮田奈津が各一七六万三一四五円及び右各金員に対する、控訴人東京都に対し昭和四四年二月一三日から、同名取光博に対し同年二月一二日から、いずれも支払済まで年五分の割合による金員の支払を求める請求を越える部分は、当審において拡張された請求である。)。

訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。

仮執行宣言

第二  主張

当事者双方の主張は、次に付加、訂正するほか、原判決事実摘示中「第二 当事者の主張」のとおりであるからこれを引用する。

一  原判決の付加、訂正等

1  原判決三枚目裏一行目の「二女である。」の次に「被控訴人裕は、昭和四三年九月一一日同紅と婚姻の届出をし、同紅と第一審原告真紀は、昭和四四年四月一日養子縁組の届出をしたが、真紀は昭和五二年四月二七日死亡した。」を加える。

2  同三枚目裏九行目の「五時三五分」とあるを「五時二五分」と訂正する。

3  同七枚目裏一行目から九枚目裏五行目までを削除し、ここに新たに次のとおり挿入する。

「5 本件医療事故による損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益

武子は、死亡当時三三歳四か月であつて、本件事故がなければ六七歳まで稼働して収入を得ることができたものであるところ、同人は、高等学校卒業の学歴を有する者であるから、高等学校卒業女子の平均賃金から生活費として三〇パーセントの割合による金員を控除した金額について、昭和五八年まではホフマン式で、昭和五九年以降はライプニッツ式で中間利息を控除すると、別紙計算式のとおり一八一六万一三七三円となる。

(二) 慰謝料

被控訴人裕は、幼児を抱えて妻を失い、真紀、被控訴人茂樹、同奈津は幼くして実母を失い、これによる精神的打撃は甚大であつて、慰謝料として、被控訴人裕については六〇〇万円、真紀、被控訴人茂樹、同奈津については各三〇〇万円を下らない額をもつて相当とする。

(三) 葬儀費用

被控訴人裕は、武子の死亡により葬儀費用として四八万円を負担した。

(四) 弁護士費用

本件医療事故について、被控訴人裕、真紀、被控訴人茂樹、同奈津は、弁護士に右事故の処理を委任し、本件訴訟を提起し弁護士に報酬を支払つたが、そのうち被控訴人裕については一五〇万円、真紀、被控訴人茂樹、同奈津については各一〇〇万円をもつて、本件事故と関連する相当な損害とみるべきである。

(五) 真紀は、武子の逸失利益の九分の二に相当する四〇三万五八六〇円を相続したほか、慰謝料三〇〇万円、弁護士費用一〇〇万円、合計八〇三万五八六〇円の損害賠償請求権を取得したが、昭和五二年四月二七日死亡し、右請求権については、被控訴人裕、同紅が各二分の一に相当する四〇一万七九三〇円を相続した。

(六) したがつて、被控訴人裕は、武子の逸失利益の九分の三に相当する六〇五万三七九一円、慰謝料六〇〇万円、葬儀費用四八万円、弁護士費用一五〇万円、真紀の請求権の相続分相当額四〇一万七九三〇円、合計一八〇五万一七二一円の、同紅は、真紀の請求権の相続分相当額四〇一万七九三〇円の、同茂樹、同奈津は、それぞれ真紀と同様の八〇三万五八六〇円の各損害賠償請求権を有する。

よつて、控訴人東京都に対しては民法七一五条又は同法四一五条に基づき、控訴人名取に対しては同法七〇九条に基づき、被控訴人裕は、一八〇五万一七二一円、同紅は四〇一万七九三〇円、同茂樹、同奈津は各八〇三万五八六〇円及び右各金員に対する本件不法行為の日である昭和四二年八月一〇日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

4  同一〇枚目表三行目の「子であること」の次に「同紅と第一審原告真紀が昭和四四年四月一日養子縁組の届出をしたこと及び真紀が昭和五二年四月二七日死亡したこと」を加える。

5  同一〇枚目表四、五行目の「武子の死の一因が手術的侵襲によるショックであるとする点を除き認める。」とあるを「武子の死亡原因が所謂弛緩性出血による出血多量並びに手術的侵襲によるショックであるとの点を否認し、その余は認める。」と訂正する。

6  同一二枚目裏二行目から一〇行目までの全部を「(三) 同(三)の事実は、武子の血液には凝固性がなかつたこと、血液に凝固性がない場合に線溶阻止剤、線維素原の投与、新鮮血の輸血を施す必要がある場合のあることは認め、その余は否認する。」と訂正する。

7  同一五枚目裏六行目の「死因は弛緩出血である。」とあるを「武子の死因は羊水栓塞症に続発するDICによるものである。」と訂正する。

8  同裏九行目の「同5(一)ないし(四)の事実は不知。」とあるを「同5の事実は、真紀が昭和五二年四月二七日死亡し、被控訴人裕、同紅が相続したことは認め、その余は不知。」と訂正する。

二  当審において付加した主張

1  被控訴人ら

(一) 因果関係

(1) 本件は止血の措置及び輸血の遅れによる出血性ショック死である。

普通の出血性ショックの場合には、止血の措置をし、輸血をできるだけ早く行うべきである。輸液は、酸素供給力がなく、滲透圧の関係ですぐ血管外へ出てしまい有効な循環血液量として作用する時間が極めて短いから、一定量以上の出血には輸血が必要である。殊に産科出血の場合には輸液では限界があり、輸血を開始すべき時期は、最高血圧九〇mmHg(以下血圧は数値のみで示す。)以下になつたとき、又は出血量が一〇〇〇ccを越えたときがメルクマールとされている。したがつて、本件においては、午後七時二五分(最高血圧七〇)、遅くも午後七時五〇分(最高血圧五〇・推定出血量一〇〇〇cc)に輸血が開始されるべきであつたのに、控訴人名取が輸血を開始したのは午後八時五〇分であつた。かくて午後八時五分以降は血圧測定不能で重篤なショック状態となり、午後八時五〇分には出血量が一六〇〇ccに達していたのである。

(2) 本件は、狭義の弛緩出血による出血性ショックである。

ショックの分類はさまざまの観点からなされるが、産科においては約九割が出血性ショックである。非出血性ショックには、心臓に疾患がある場合と血管に問題がある場合(敗血症による血管収縮ショック、薬物や麻酔による血管拡張性ショック)がある。そして、DIC(血管内血液凝固症候群)とショックとの関係は複雑であるが、一般的に、出血性ショックとの関係ではDICが先行して出血し出血性ショックとなることが多く、非出血性ショックとの関係では、ショックが先行してDICとなると考えられるが、何れの場合もDICを非出血性ショックと分類するのは誤りである。本件の場合、午後七時二五分時点の血圧低下が非出血性ショックによるものとする根拠はない。すなわち、ブスコパン、ヒデルギン等薬剤の投与や子宮膣充填強圧タンポンによるショックは通常考えられず、あつても軽微、一過性のものである。武子は、心臓に異常なく、胸部、背部の痛みを訴えた症状もなく、心不全、心疾患等を疑わしめるものもない。また、非出血性ショックの原因疾患である敗血症性、心原性、神経原性の疾患はなく、その他非出血性ショックを疑わしめるものは何もない。結局何らかの原疾患によりDICが惹起され出血性ショックになつたか、単純な出血性ショックのいずれかであるが、DICを惹起する原疾患(常位胎盤早期剥離、羊水栓塞、死胎児稽留症候群、妊娠中毒症、卵巣癌、遺残胎盤、前置胎盤、子宮破裂、胞状奇胎等)はないので、たゞ弛緩出血によるDICが考えられるが、これは、弛緩出血により出血性ショックとなりDICから更に出血に至るのであるから、単純な出血性ショックと異ならない。したがつて、本件は、単純な狭義の弛緩出血による出血性ショックと考えるべきである。

(3) 本件について出血量と血圧とのアンバランスは認められない。

控訴人らは、DICであることの根拠として、出血量と血圧がアンバランスであつたというが、第一に、本件においては出血量の把握は正確でない。膿盆を武子の股間に置いて用量的に測量したというが、この方法では、羊水と共に流れたり、布や脱脂綿に付着したりした血液は除かれるし、凝血や腹腔内出血の把握ができないから出血量はすくな目に計算されている。また、診療録では午後六時一〇分に「出血量約五〇〇cc」と記載され、分娩経過表には出血量として「一五〇+三〇〇+一六〇〇+二〇〇+六〇〇(五〇〇の誤記と認める)・計二七五〇推定」との記載しかない。控訴人らは、午後六時四〇分から同五〇分までの総出血量が約六五〇ccであつたとか、実験によれば午後八時頃の推定出血量は九三〇cc以下であるというが、武子の最高血圧七〇であつた午後七時二五分には子宮内に強圧タンポンが挿入されていたから、出血量を測定する方法がなかつたのである。第二に、どの程度の出血量でどの程度血圧が低下するかというのは個人差の大きい問題である。武子は非妊時体重が五〇キログラム、分娩直前体重が六一キログラム(胎児、胎盤、羊水を含む。)であつたから、一〇〇〇cc未満の出血でもショックを起しうるのである。築地産院での検査によれば、武子の赤血球数は三四五万、血色素は六五%で貧血であり、分娩前最高血圧一一四、最低血圧六〇で低血圧であつた。一般に貧血の妊婦は出血性ショックに陥いりやすいから、武子が出血量に比し早い時期に出血性ショックに陥つたとしても不思議ではない。

(4) 本件にDICの発現は認められない。

DICの診断基準として、緊急時検査、ベッドサイド検査、確診検査、最重要検査等があるが、本件については、検査は全く行われず、DICと診断すべき検査データは何も存在しない。また、DICの臨床症状である皮膚出血、紫斑形成、血尿、消化器管出血等は本件には発現していない。ところで、羊水栓塞症とは、羊水成分がなんらかの原因で母体血中に入り、肺血管に栓塞を起こし、呼吸困難、心血管系虚脱症状を呈し重篤なショックに陥るもので、通常分娩時もしくはその直後において、突発的な呼吸困難、胸痛、チアノーゼからはじまり、殆んど瞬時に死亡してしまうものであるが、本件には右のような症状はなかつた。しかも、羊水栓塞症はきわめて稀で二万ないし三万件に一件の割合で発症する疾患で、非典型的なものについては文献になく、ありえても更に稀有のものである。武子の出血血液の性状が暗黒色で流動血であつたとの点は観察者の主観に左右される極めて微妙なもので、そのときの印象にすぎず不確実なものである。また、武子の血液は、フィブリノーゲン値が低かつたというが、大量出血があつたり、血液循環を失つた血液は急速にフィブリノーゲン値が低下するものであるところ、武子の血液は、死後一五時間以上経過した臓器内の血液を検査し、フィブリノーゲン値を測定したものであるから、その低かつたことをもつてDICを判定することはできない。

(5) 仮に本件がDICであつても輸血が必要である。

仮に本件がDICであつたとしても、その治療として輸血が重要であることは、医学上一致した見解である。以上要するに、武子の死因は輸血の遅れによる出血性ショックであつたというべきである。

(二) 過失

(1) 本件では、武子の一般状態の把握は不十分であつた。

武子の診療録には、午後六時一〇分までに約五〇〇ccの出血があり、午後六時二五分にも引続き出血していたとの記載があるのみで、午後七時二五分以降は殆んど記載がない。出血が続き、強圧タンポン充填後は出血量の把握ができないのであるから、血圧の変化すなわち血圧の下降の有無及びその程度を把握すべきであるのに、診療録に血圧の記載がない。また、顔色、皮膚の状態、発汗の有無、意識状態、脈搏数、呼吸数、体温等の状態についても一切記載がない。したがつて、午後六時一〇分から午後七時二五分までの武子の一般状態は不明であり、良好と認むべきものはなく、控訴人名取は、この間血圧すら測定していない。このように一般状態の把握が不十分であつたので、輸血の必要性の判断が遅れ、輸血手配が遅れ、かつ、輸血開始の時期が遅れたのである。

(2) 本件における輸血の手配等は不十分であつた。

控訴人名取が富士臓器製薬株式会社に対し輸血の手配をしたのは午後八時三〇分ころであり、それ以前、特に午後七時五五分に手配をしたことはない。また、当時築地産院では、将来の輸血や万一の輸血のために予め血液を注文して備えておくことは可能であつたのにこれをしなかつた。武子は、午後六時一〇分に推定出血量約五〇〇ccに達し、その後も出血が続いていたのであるから、控訴人名取はおそくも午後七時二五分に血液を手配すべきであつたのにこれが遅れ、そのため保存血の輸送が遅れ、輸血の開始が遅れたのである。

(3) 本件事故当時控訴人名取は非出血性ショックと判断していなかつた。

本件には非出血性ショックの疑いはなく、控訴人名取自身非出血性ショックを真剣に考慮していなかつた。診療録には、控訴人名取が非出血性ショックを疑い、これを確認しようとした記載はない。急性心不全を疑つて心電図をとつたり、聴診器で心音を測定したこともなく、薬物によるショックや強圧タンポン充填による腹膜刺戟によるショック及び羊水栓塞症等は考えてもいなかつたのである。分娩後出血が続き、出血量が午後六時一〇分に正常域の五〇〇ccを越え、更に出血が続いて午後七時二五分に最高血圧七〇となつたのであるから出血性ショックと考えるのが通常である。しかるに、控訴人名取は、輸血の必要性を判断しようともせず、その手配を怠つたのである。また、控訴人名取は、本件のように多量の出血がある場合には、それが血液の凝固障害によるものであるかもしれないことも考慮し、新鮮血の輸血、線維素原の投与等をして止血措置をとるべきであつたのにこれを怠つたのである。

2  控訴人ら

(一) 武子の死因は、羊水栓塞症に続発するDICによるものである。

武子は、狭義の弛緩出血によつて死亡したのではなく、分娩を転機として羊水栓塞症を発症し、次いでDICを続発し、出血するに至つたものである。羊水栓塞症は、破水後羊水又は羊水に含まれている物質、例えばトロンボプラスチン、胎便等が胎盤付着部、頸管損傷部などの断裂血管から母体循環へ侵入し、肺の毛細血管に塞栓をきたすものをいう。その発症を推定するものとして、本件では分娩時間が極めて短時間であつたことをあげることができる。普通経産婦の平均分娩時間は六時間ないし七時間であるが、武子のそれは一時間三〇分と極めて短かく、三三〇〇グラムの大きな児を出産したことから、子宮内圧の異常な上昇があつたと推定され、子宮内の細かい損傷又は血管等から羊水又は羊水に含まれる物質が血液中に侵入し、肺動脈等に塞栓をきたしたと考えられるのである。

(二) 武子の臨床症状からもDICの発症のあつたことが認められる。

(1) 血液の性状

本件において午後六時一〇分以降の子宮口からの出血傾向を見ると、暗黒色で流動性を有し凝固しにくいものであつたが、これは狭義の弛緩出血の場合の血液の性状とは非常に異なるものであり、その以前に生じた羊水栓塞症に続発して内部的に徐々に進行していたDICが、この時点に顕在化するに至つたものということができる。

(2) 出血量と血圧のバランス

一般に出血性ショックの場合は、出血量と血圧の低下は相関関係にあり、出血量が多くなるにしたがい血圧は低下しショック状態に陥るものである。しかし、妊産婦は、妊娠中循環血液量が増加しており、児娩出後は子宮胎盤を循環していた六〇〇cc程度の血液が体内循環に還流されるので、普通五〇〇ccないし一〇〇〇cc程度の出血量では出血性ショックに陥らないものである。本件では、武子の午後七時二五分における出血量は八〇〇ccをやや下まわる量であつたのに、血圧は最高血圧八〇、最低血圧五〇でショック状態に陥つている。このことは出血量が少なくてもショック状態に陥る羊水栓塞症を原因とするDICの可能性を強く推定させるものである。

(3) 輸液、輸血の実施経過

武子の出血量は、午後七時二五分の時点で約八〇〇cc、午後八時の時点で約一〇〇〇cc、その後急激に増加し午後一〇時五〇分の時点で約二七五〇ccに達している。他方輸液、輸血の実施量をみると、午後七時二五分の時点で五%ブドウ糖とアトニンO一〇単位を合わせて四〇〇cc、午後八時一五分の時点ではアミノデキストランを実施し合わせて一〇〇〇cc、午後八時五〇分の時点では二〇〇〇㏄と出血量を上まわる量を実施し、午後八時五〇分から午後一〇時五〇分までの間に保存血を二二〇〇cc実施し、合計四二〇〇ccとなり出血量を大幅に上まわつた。それにもかかわらず、武子の状態は午後八時一五分の時点で一般状態不良、午後九時一五分の時点では呼吸停止、午後一〇時五〇分死亡と、悪化の一途をたどつている。もし、狭義の弛緩出血であれば、右のような治療によつて当然救命される筈であるのに、右治療に反応せず刻刻と悪化の傾向をたどつたことはDICであつたことが推定されるのである。

(三) DICの存在について

以上のとおり武子の出血傾向は普通の出血性ショックに比べて経過が長く、狭義の弛緩出血が短時間に大量の出血を見るのと異ること、妊産婦が一〇〇〇cc程度の出血ではショックに陥らないのに武子はショックに陥つていること等からすると、当初からの出血性ショック即ち狭義の弛緩出血に基づくショックは否定されるのである。そして本件は二次的な血液凝固障害ないしは続発的な低線維素原血症による出血性ショックであつた可能性が極めて高く、その原因は、DICか、アミノデキストランの副作用であつたのである。

(四) 本件事故当時におけるわが国のDIC概念及び控訴人らの責任について

DICという言葉は、一九六五年(昭和四〇年)にアメリカのドナルト・マッケイが初めて系統的に言い出したものであつて、わが国でDICの言葉がはじめて使われたのは昭和四二年ころからであり、これがその専門家によつて理解されるようになつたのは更にそれから何年か遅れ、広く多くの医師に普及していつたのは更にその後のことである。したがつて、本件事故当時の昭和四二年八月ころその診断基準や治療基準は未だ専門家においても理解されていなかつたし、一般医師の医療水準においては全く存在しなかつたのである。

本件において武子に発症したDICに対して、控訴人名取が、適切な診断や治療を行ないえなかつたとしても、それは不可抗力であつて、控訴人らに責任がないといわなければならない。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者の身分関係等

被控訴人奈津が武子の子であること、同紅と真紀が昭和四四年四月一日養子縁組の届出をしたこと、真紀が昭和五二年四月二七日死亡したこと及び真紀の相続人が被控訴人裕、同紅であることは当事者間に争いなく、<証拠>によると、被控訴人裕は、武子の夫であつた者であり、真紀、被控訴人茂樹及び同奈津は、武子と被控訴人裕との長女、長男、二女であり、被控訴人と同紅とは昭和四三年九月一一日婚姻の届出をしたことが認められる。

東京都立築地産院が控訴人東京都の経営にかかるものであり、控訴人名取が東京都の被用者として右産院に勤務していた医師であることは、当事者間に争いがない。

二武子の出産経過及び医師らの措置

1  武子(当時三三歳四か月)が、出産に備えて昭和四二年一月一二日から築地産院に通院を開始し、控訴人名取ほか同院医師らの診察及び諸検査を受けていたこと、武子が同年八月一〇日分娩のため同院に入院し、午後五時二五分被控訴人奈津を出産したこと、分娩後出血が続いて極度の衰弱状態のもとで子宮膣上部切断手術を受け、午後一〇時五〇分死亡したこと、武子の初診時の採血検査の結果では血色素がザーリ法で六五%であつたこと、控訴人名取が午後六時一〇分及び同二五分に助産婦山崎ヒロ子から出血が続く旨の連絡を受けたこと、午後七時二五分最高血圧七〇、最低血圧五〇であつたこと、午後八時五〇分輸血が開始されたこと、武子の血液に凝固性がなかつたこと、血液に凝固性がない場合に線溶阻止剤、線維素原の投与、新鮮血の輸血を施す必要がある場合があることは、何れも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  武子は、被控訴人裕と昭和三四年一一月結婚し、同三五年六月真紀を出産し、同年一二月人工妊娠中絶を受け、同三六年から同三九年までの間に四回自然流産をし、同四〇年一月切迫早産の虞れがあり一か月入院して被控訴人茂樹を出産した。

(二)  昭和四二年一月一二日武子は、築地産院における初診時に控訴人名取の診察を受け、妊娠三か月、分娩予定日同年八月一日と診断され、体重五〇キログラム、最高血圧一一四、最低血圧六〇で、心臓、肺臓その他の所見に異常は認められず、血液検査の結果は血色素六五%(ザーリ法)、赤血球三四五万、ヘマトクリット三六%であつた。その後同年八月初めまで診察を受け、初期に少量の性器出血があつたので、流産予防のためEPデポー五〇mg、EPホルモン等の注射を受けたほかは、経過は順調であつた。同年七月一三日子宮口一指開大、同月二七日二指開大となり、胎児の発育は順調であり、分娩に適する状態となつたが、そのまま予定日を経過し、同年八月一〇日の診察日にも同様の状態であつた。そこで、控訴人名取は、胎児の過熟となることを懸念して、誘発分娩を勧め、武子は同日午後入院することになつた。

(三)  武子は、同日午後二時一五分築地産院に入院した。入院時体重六一キログラム、最高血圧一一〇、最低血圧六〇、浮腫、尿蛋白、糖等何れもなく、胎児心音正調で、一般状態は良好であつた。午後三時五〇分分娩室に入室し、子宮頸管部の弛緩を目的として複合ブスコパン二〇mgとヒデルギン一Aを筋注し、その後陣痛を誘発し分娩を促進する目的で五%ブドウ糖液五〇〇cc、アトニンO一〇単位の混合点滴静注をした。午後四時五分陣痛発来、同四時五一分自然破水と続き、同五時二五分児(被控訴人奈津)娩出し、同五時三五分胎盤娩出した。児体重三三三〇グラムであつた。控訴人名取は、児娩出の直後麦角製剤で子宮収縮作用を有するメテルギソ一Aを静注し、前記点滴を同目的で継続した。なお胎盤娩出までの出血量は、膿盆に受けたものを測定し約一五〇ccであり、武子の一般状態は良好であり、引続き出血、一般状態について経過観察した。

(四)  午後六時一〇分助産婦山崎が武子の悪露交換をした際、血液が少しずつ出ていて、腹部に触れたところ血液が溜つているように感じられたので、その旨を控訴人名取に連絡し、同控訴人は、子宮腔に手を入れて触診し、子宮破裂、子宮頸管膣壁等軟産道裂傷、胎盤その他の遺残のないことを確認すると共に、子宮腔内の凝血を排除し、軽く子宮の双手マッサージを行なつて子宮の収縮をはかり、なお念のため膣タンポンを挿入して子宮膣部や膣壁の小さな裂傷からの出血を圧迫止血する措置をし、メテルギン一Aを注射した。この時点までの出血量は約四五〇ccないし約五〇〇ccであった。

(五)  午後六時二五分出血がなおも続いていたので、前記山崎は再び控訴人名取に連絡し、同控訴人は、助産婦加田千代子を応援に頼み、膣鏡を使用し子宮や軟産道等の裂傷、胎盤や卵膜等の遺残がないことを確認した。また、一般状態は良好であつたが、暗黒色の凝固しにくい血液が少量ずつ持続的に流出しているので、同控訴人は、血液の性状が普通と異なるとみながらも確定的にこれを認識せず、出血の主な原因は子宮の収縮不全による狭義の弛緩出血と考え、これを止血し、多量の出血となるのを予防する目的で午後六時五〇分ころから子宮膣腔内に長さ約五メートルのガーゼで強圧タソポンを充填し、メテルギン一Aを注射した。右強圧タソポン充填に取掛つたころまでの推定出血量は約六五〇ccであつた。

(六)  午後七時二五分ころ、控訴人名取が武子の血圧を測定したところ、最高血圧七〇、最低血圧五〇で、一般状態は皮膚の色がやや紅潮しているほかは良好であつたことから、右血圧の低下は、ブスコパンやヒデルギン等血管拡張剤の注射によるものか、あるいは、強圧タンポン挿入による腹膜刺激などに起因する一過性のものかと判断し、また、この時点で、出血量に比し血圧の著しい低下をみたのは、出血性ショックよりもむしろ非出血性ショックではないか、出血の原因が弛緩出血以外にあるのではないか等との疑問をいだいた。しかし血圧の著明な低下があるのでそれまで実施していたアトニンOとブドウ糖輸液を循環血液量の維持に有効とされるアミノデキストラン五〇〇ccの輸液に切換えた。

(七)  午後七時三〇分ころ酸素吸入を開始し、抗ショック、昇圧、止血作用を有するデカドロン四mg、血管透過性を抑える作用を有するビタミンC二〇〇mg、血液凝固能を亢進させる作用を有するカチーフ一〇mgを筋注し、このころ血圧は最高血圧八五、最低血圧五〇、午後七時三五分ころ最高血圧八〇、最低血圧六〇とやや上昇し、脈搏九一であつたので、控訴人名取は、このまま経過を観察することとし、もしガーゼを通し血液がにじみ出るようであれば輸血や手術が必要になろうと考え、午後七時四五分メテルギン一Aを筋注した。

(八)  午後七時五〇分ころ、最高血圧五〇と低下し、一般状態が悪化し、総出血量は一〇〇〇ccに近いものと推定され、ショック症状を呈するようになつたので、強心昇圧剤カルニゲン一A静注、強心剤セジラニッド一A筋注し、午後七時五五分ころ輸血と手術をすることを予想し、富士臓器製薬株式会社にAB型保存血五本(一〇〇〇cc)を電話で緊急発注すると共に、築地産院勤務の産婦人科医師柳田、同柴田に緊急登院するよう電話で依頼し、看護婦宿舎に居る新田ユキ婦長ら助産婦に応援を求めた(当審証人新田ユキは、緊急動員がかかり午後七時五五、六分ころ分娩室に行き、武子の一般状態をみてから控訴人名取に「血液は。」と聞いたら、同控訴人は「五本たのんだ。」と答えたが時刻は午後八時前であつたと述べ、原審及び当審における控訴人名取光博はその本人尋問で血液を注文してから医師と助産婦に緊急応援を依頼したと述べている。他方原審証人渡辺春男の証言により成立の認められる甲第九号証(富士臓器製薬株式会社の回答書)には第一回の一〇本の血液の注文を受けた時間は午後八時三〇分である旨の記載があるが、原審証人渡辺春男の証言によれば、右受注時刻の記載は緊急自動車出動時刻に関する台帳の記載から逆算したものであることが認められ、この事実と、控訴人名取のした一回目の五本の注文と後記の二回目の五本の注文とが右回答書では一括されて一回の一〇本の注文として記載されているところからすると、右受注時刻の記載は正確なものとは認め難い。また、原審(第一、二回)及び当審における被控訴人宮田裕の供述は、控訴人名取が午後七時五五分ころ保存血の注文のため電話したことを否定しうるものではなく、午後八時三〇分ころに電話した内容が保存血の注文であることを確定的に述べるものでもないので、第一回目の血液の発注時刻は右のとおり認定するのが相当である。)。午後八時ころ血圧は、最高血圧五〇、最低血圧三〇となり、強圧タンポンのガーゼから血がにじみ出るようになつたので、控訴人名取は、開腹手術や静脈切開に備え器具の用意を命じ、また、出血性ショックが重なつたものと判断し、輸血の必要を認めた。

(九)  午後八時五分ころ富士臓器製薬株式会社に保存血五本(一〇〇〇cc)を電話で追加発注したが、この時点で同会社から第一回発注の血液運搬の自動車はまだ出ていなかつた。同時刻ころ血圧の測定は不能となり、急激に一般状態は悪化したので、セジラニット一Aとデカドロン四mg一Aを筋注し、子宮を双手圧迫した。午後八時一五分ころ前記タソポンのガーゼから血液が滴下するようになり、その血液は凝固性を有しないものであつた。そのころから血管確保のため静脈切開を開始し、先ず右腕肘関節を切開して循環血液量の維持を目的とする電解質のフィジオゾール輸液を実施し、午後八時五〇分までの間に両腕、両下肢の静脈を切開し、血管を確保した。午後八時三〇分ころには出血は前記タソポンから連続的に滴下するようになつた。

(一〇)  午後八時五〇分ころ、先に発注していた保存血一〇本が到着したので、配達人に更に保存血二〇本を追加発注した。そのころ、柳田、柴田両医師が登院し、それまでの輸液の点滴を、四か所から保存血による加圧輸血に切替えた。午後九時一〇分ころ武子の一般状態がやや好転して来たので、強圧タンポンを除去して出血部位を再確認しようとしたが、再び一般状態が悪化したのでこれを中止し、双手圧迫した。午後九時一五分ころ呼吸が停止したので、陽陰圧の蘇生器を使用して人工呼吸をし、中枢性の呼吸促進剤であるテラプチク、強心剤であるビタカンファー、カルニゲンを静注した。午後九時二五分ころ自発呼吸に戻り、午後一〇時ころ一般状態がやや好転し、心搏数九二となり、すでに追加発注していた保存血二〇本が到着していた。そのころ、無酸素症によると思われるけいれんがあつたが、控訴人名取、柳田、柴田ら医師は、手術すべきか否か協議し、手術が成功するとの確信はなかつたが、心臓が少しでも動いているので、止血の最後の手段として手術に着手すべきであると決定し、午後一〇時一〇分ころ柳田医師が執刀、控訴人名取が助手、柴田医師が呼吸その他の管理をそれぞれ担当し、無麻酔のもとで手術を実施した。午後一〇時一五分ころ子宮膣上部が切断され、午後一〇時二五分ころ心搏数七〇となり、午後一〇時三〇分ころ呼吸が停止したので、人工呼吸をすると共に、テラプチク、カルニゲン、ビタカンファー、セジラニッド等の静注をしたが、午後一〇時五〇分武子は心停止の状態となつて死亡し、午後一〇時五七分手術は終了した。

(一一)  武子の手術時における子宮所見としては、子宮はやや弛緩し、児頭大で暗赤紫色で軟く、腹腔内の出血はなく、両側卵巣卵管に異常はなく、切断の創面からの出血は殆んどなかつた。摘出子宮に裂傷、胎盤遺残はなかった。また、内子宮口、頸管部に出血部位、裂傷は認められなかつた。控訴人名取は、単純な弛緩出血であるならば、以上の措置で通常は止血できるのにその効果がなかつたので、武子の身体が特異体質であること、血液の凝固に障害があつたこと等が想定されるとし、翌日摘出子宮について財団法人東京顕微鏡に検査を依頼した結果、フィブリノーゲン六四mg/dl(正常値は二〇〇mg/dlないし三〇〇mg/dl)、プロトロンビン時間二九sec(正常値一二secないし一三sec)との結果を得た。なお、分娩時から死亡に至るまでの出血の総量は推定約二七五〇ccであり、輸血は約二二〇〇cc、輸液は五%ブドウ糖約四〇〇cc、アミノデキストラン約八〇〇cc、フィジオゾール約八〇〇ccであり、ほかにアリナミンF五〇mgが二回、ストレプトマイシン一gが腹腔内に注射された。

以上のとおり認められ<る。>

三武子のショック症状

<証拠>を総合すると、医学上ショックの定義を一義的に確定することは極めて困難で、それぞれの観点から定義、分類されているが、一般には、有効循環血液量の低下、心搏出不全、末梢血行不全等によつて特徴づけられる一つの症候群で、非常に複雑な全身的現象であり、多数の発生因子があつてそれらが相互に関連し、進行過程中の代謝産物によつて、あるいは修復され、あるいは調和が破れ、悪循環を形成し、内分泌、神経系等へ作用し進展して行く現象であるとされていること、低血圧はショックの全てではなく、原因でもないが、ショック状態に伴なう現象ないしは結果として重要な判定基準とされていること、妊産婦の場合、神経的・内分泌的に特異な状態にあり、それが更に妊娠時の各臓器・組織の特異状態と相俟つて代謝系に複雑な影響を及ぼしている等の特徴をもっているとされていることが認められる。

武子の分娩終了後午後七時二五分ころまでの血圧の状況は不明であるが、同時刻において、最高血圧七〇、最低血圧五〇と著しく低下し、その後一時的に僅かに回復したものの低下の一途をたどり、午後八時以降は測定不能となつていること、出血量は、午後六時五〇分ころの推定総出血量約六五〇ccであり、午後七時五〇分では総出血量は一〇〇〇ccに近く、かつ、このころから出血量が増加し始めたものと推定されること、午後七時二五分ころ一般状態が良好にみえながらも皮膚の色がやや紅潮していたこと、午後八時五分ころ急激に一般状態が悪化したこと、また、午後八時五〇分ころ輸血を開始し、午後九時一〇分ころ一般状態がやや好転したかにみえたが、午後九時一五分ころ呼吸停止となり、その後自発呼吸に戻つたものの結局回復せず死亡するに至つたこと等前記認定の症状を総合すると、武子は午後七時二五分ころ、遅くも午後八時ころにはショックに陥つたものであり、午後九時一五分ころには不可逆性ショック状態にあつたものと認めるのが相当である。

四武子の出血・ショックと弛緩出血等との関係

被控訴人らは、武子の出血及びショックは弛緩出血によるものであると主張するので検討する。

武子の児分娩後死亡までの間には血液検査はされず、死亡後相当時間経過したのちにされたにすぎなく、また解剖もされていないので、出血・ショックの原因を考えるについては主として臨床症状によらざるをえない。

<証拠>によれば、妊産婦の分娩時における異常な性器出血の主な原因としては、(一) 子宮筋の収縮不全、(二) 胎盤・卵膜等の多量の残留、(三) 軟産道等の損傷、(四) 血液凝固障害、(五) 出血性婦人科疾患の合併等があげられていること、子宮筋の収縮不全とは、胎盤剥離面に露呈された比較的細い血管の血流を阻止するのに十分な収縮能力が子宮筋に備わつているべきであるのにこれがない状態をいい、これが本来の意味での弛緩出血の原因となるものであるが、かつては、分娩時における性器からの出血を広く弛緩出血と呼んでいた者もいたことが認められる。

死後の武子の子宮はやや弛緩し児頭大であつて、かつ、暗赤紫色で軟かつたとの所見はあるが、右程度の子宮の弛緩が本件の如き大量の出血及びショック症状を招来する原因となつたものとする証拠はなく、右所見のみから狭義の弛緩出血と断定するのは相当でない。また、武子には他に子宮筋の収縮不全を認むべきものもなく、次項説示の症状等とも比較検討するとき、本件出血及びショックが狭義の弛緩出血によるものと認むべきではない。

次に、控訴人名取は、午後六時一〇分、同二五分に武子に子宮破裂、子宮頸管・膣壁等軟産道裂傷、胎盤・卵膜等の遺残のないことを確認し、手術後にも、両側卵巣・卵管に異常がなく、摘出子宮に裂傷、胎盤等の遺残もなかつたこと、内子宮口・頸管部に出血部位、裂傷等のなかつたことをそれぞれ確認していることは前記認定のとおりであり、ほかに前記(二)、(三)の性器出血の原因の存したことを認むべき証拠はない。

血液凝固障害(これを広義の弛緩出血に含ましめる者もあるが、その適否はしばらく措く。)の存否については後に考察する。

武子は、本件妊娠前に、人工妊娠中絶を受け、四回自然流産をし、また、切迫早産の虞れのあつたことは前記認定のとおりであるが、これらを含めて武子に本件分娩当時出血性婦人科疾患のあつたことを認むべき証拠はない。

武子は、初診時採血検査の結果では、血色素がザーリ法で六五%であつたことは前記認定のとおりであるが、<証拠>によると、血色素がザーリ法で六〇%ないし七〇%は軽症であり(五〇%ないし六〇%を中等度、五〇%以下を重症とする。)、貧血妊産婦は分娩時にショックに陥りやすいといわれているが、軽症の場合は必ずしもそうであるとは限らないことが認められるのであり、武子の貧血は軽症であつて、これが本件出血及びショックの原因であつたことを認むべき証拠はない。

五武子の臨床症状等の特異性

以上の事実に、<証拠>、当審における鑑定人品川信良の鑑定結果を総合すると、武子の臨床症状等に次のような特異性が認められる。

狭義の弛緩出血の場合は、短時間に大量の出血をみることが多いのに、武子の出血状況は、午後五時二五分児娩出後同八時ころまでは少量の血液が持続的に流出し、その後急激に増加したものである。

次に、妊産婦は、妊娠前に比し循環血液量が通常二〇%ないし三〇%増加し、そのため出血には比較的強く、五〇〇ccの出血では殆んど異常はなく、五〇〇ccないし一〇〇〇ccの出血でも血圧が異常に低下したり、ショック症状に陥ることはすくないのに、武子は、午後七時二五分には血圧が最高血圧七〇、最低血圧五〇と異常に低下し、他の症状をも合せ考えるとショックに陥つたのではないかと思われる症状があらわれ始め、午後八時頃出血量は一〇〇〇ccに達していないのに最高血圧五〇となり、完全にショック症状を呈するようになつて、出血量と血圧及びショック症状とのバランスがとれていない。

午後七時二五分アミノデキストランの点滴静注を加圧輸液した後間もなく急激な大量の出血をみるに至つている。

血液は、午後六時二五分ころ色は暗黒色を呈し、凝固しない性状を有していた。

双手圧迫、タンポン等の止血措置及びデガドロン、カチーフ等の止血剤の投与の効果があらわれなかつた。

単純な出血によるショックであるならば、保存血の輸血によつても効果があらわれるのに、それがあらわれなかつた。

控訴人名取は、血液の性状、ショックの症状等に対し、単純な出血に因るものであることに疑問をもちながらも弛緩出血と診断し、これに対する措置をとつたものといえるが、これによつては全く改善がみられなかつた。

出産状況をみるに、経産婦の出産時間は個人差のあるものではあるが、平均して六時間ないし七時間位であるのに、武子のそれは極めて短く一時間三〇分位であり、児体重は三三三〇グラムで平均より少し大きかつたから内圧がやや高かつた。

六武子のショック・出血の原因

以上のとおり、武子には、子宮筋の収縮不全、胎盤・卵膜等の多量残留、軟産道等の損傷、出血性婦人科疾患の合併等はなく、かつ、その貧血が本件出血及びショックの原因と認むべき証拠がなく、却つてその臨床症状等の特異性を総合して考察するとき、本件のショック及び大量出血は、後記DIC(播種性血管内凝固症候群)による血液凝固障害に基づくものであり、これにアミノデキストランの副作用が大量出血を助長したと認めるのが相当である。

DICの定義、診断、治療及びアミノデキストラシの副作用について、<証拠>、当審の鑑定人品川信良の鑑定結果によると、次のとおり認めることができる。

DICとは、(一) 生体内で何らかの機転によつて凝固能を亢進せしめる物質(例えば胎盤又は羊水中にある組織トロンボプラスチン様作用物質)が直接血管内に侵入するか、又は血管内で仲介物を経て発生し、これが誘因となつて血管内特に微小循環系で血液が大量に凝固し、多数の播種性血栓を生じ(凝固性亢進期)、(二) その結果血液中の線維素原が大量に消費され(消費性凝固障害期)、(三) 他方線維素溶解酵素によつて生体反応等がひき起され(線溶亢進期)、(四) これらによつて血液の凝固障害による大量出血をはじめ種々の病態、臨床症状を示す(代償期)疾患が生ずる一連の現象をいうものである。

これには基礎疾患を伴うものと伴わないものがあり、また、慢性型と急性型のものがあり、産科領域では多くは後者である。

DICは一般には出血性ショックの初期には発症せず、大量出血によりDICの発症を伴う場合があり、DICが当初から発症している場合はショックが発生し、大量出血となることもあり、これが複雑に関連し悪循環を生ずる。

その診断のため、臨床的には赤沈、出血時間、血液凝固時間等の検査をし、更に確診のための検査を行うべきものとされている。臨床所見として、急性DICにおいて早期の凝固性亢進期を把握することはむずかしく、多くの場合消費性凝固障害の状態において診断を下すことができる。説明しかねるような出血傾向があり、かつ出血してきた血液の凝固性が乏しい場合は消費性凝固障害の疑いが濃厚であり、注射部位の出血、紫斑形成、全身の皮膚粘膜等の出血、貧血、乏尿ないし無尿、チアノーゼ等があらわれる。

その治療方法としては、DICの発生原因を早急に排除することであるが、これは不可能なことが多く、抗凝固作用を有するヘパリン、抗血小板作用を有するペルサソチン、抗ショソク作用を有する副腎皮質ホルモン、透過性抑制作用を有する結合エストロゲン、アシドーシス補正用の重曹を投与し、DICが完成し消費性凝固障害の状態となつたら新鮮血の輸血、フィブリノーゲンの補充をするとするもの、第一段階ではヘパリン投与、第二段階ではフィブリノーゲンの投与と大量の新鮮血の輸血と血小板の投与をし、第三段階では線溶阻止剤を投与するとするもの、フィプリノーゲンの投与については凝固線溶期にはDICを亢進させるとし、また、凝固亢進期・線溶期に新鮮血を輸血しても末梢循環不全のため血液の末梢プールを増悪させ、また、血液中のフィブリノーゲンがプラスミンにより破壊されるので輸血の効果はなく、却つてDICを助長するからアルカリ性輸液を基調として経過をみ、循環動態を改善して末梢血管のうつ血が去り脈圧が大きくなつた時に新鮮血とフィブリノーゲンを投与するというもの等、現時点においても治療方法について定見をみていない。

保存血の輸血は、DICに有効ではない。

高分子デキストランはDICを助長し、低分子デキストランは溶血現象を起すから凝固亢進期にその輸液を実施することはヘパリン療法と同様有効であるが、他の期には却つて有害となり、アミノ酸製剤も血液が凝固しにくくなる。

以上のとおり認められる。

以上によつて考察するとき、武子については、午後六時一〇分ないし六時二五分には、DICの線溶期にあつたのであり、常置胎盤早期剥離や妊娠中毒症等がなかつたことから、基礎疾患を伴わない急性型のDICか、又は出産時間が短く胎児がやや大きかつたので内圧が高くなつたことから、羊水等が血液中に流入して羊水栓塞症を起し、これによる急性型のDICによりショック症状を起し、続発的に大量出血をみるに至つたものであり、これにアミノデキストランの輸液の副作用によつて出血を一層助長したものと認めるのが相当である。

七昭和四二年当時の我が国における医学水準

<証拠>、当審の鑑定人品川信良の鑑定の結果を総合すると、次の事実を認めることができ<る。>

産科における子宮出血及び全身的異常出血の場合に血液が凝固せず、血液中のフィブリノーゲンが減少していることは古くから知られ、その病態の発生する理由についてはいろいろの議論がされていた。昭和三〇年代後半ころにおいては、無線維素原血症、又は、低線維素原血症として外国文献が紹介され、昭和四一年ころDICに関する外国文献が我が国に輸入され、翌年その文献の内容が紹介され、また我が国医学会でも症例の発表がされるようになり、昭和四三年、同四五年国際血液学会でこれに関する発表がされ、これらが契機となつて学者の関心の的となつた。しかし、昭和四二年ころは一般病院の開業医にDICの知識は普及しておらず、無線維素原血症、低線維素原血症又はフィブリノーゲン欠乏血症等としてある程度知られ、この症状のあるときはフィブリノーゲンを投与するものとされていたが、DICに対する検査、診断、治療等は確立していなかつた。しかも、フィブリノーゲン製剤が我が国で製造発売されるようになつたのは昭和三九年一一月であり、翌四〇年一一月から健康保険が適用されるようになつたが、まだ一般に普及せず、一回の使用量が三gないし八gであるのに当時一g五〇〇〇円ないし六〇〇〇円と高価で、かつ、低温(摂氏一〇度以下)貯蔵の必要があつたので、一般病院では常備していない所が多かつた。

また、アミノデキストラン輸液は、血液に代わるものとして血管外にもれにくく、大量生産ができ、長期保存が可能であることから、昭和四二年当時は広く使用されていたが、昭和四四年連続使用による副作用の症例が一件紹介され、昭和四九年ころから同五〇年ころ低分子デキストランとアミノ酸製剤の大量輸液の副作用が判明し、同五〇年医学会でこれが発表されるようになつたものであつて、昭和四二年当時はその副作用は知られていなかつた。

そうすると、控訴人名取が武子のDICの発症に対し適切な措置をとらなかつたこと、アミノデキストラン輸液を実施するに際し副作用のあることを考慮しなかつたことをもつて控訴人名取に故意又は過失があつたということはできず、これをしなかつたことについて控訴人東京都に債務不履行があつたということはできない。

八血液確保及び輸血手配等

<証拠>を総合すると、昭和四二年当時保存血に対する需要が供給を上まわり十分な量を確保することができず、かつ、血清肝炎等副作用が多く発生し、輸血学会の総会では毎年この問題がとりあげられ、無輸血による手術と出血量、輸血に代る輸液等に関し報告等がされ、出血に対しては直ちに輸血により血液を補充すべきであるとの考えに反省が加えられていたこと、また、保存血の保存期間は二週間位しかなかつたので、一般病院では不測の事態に備えて保存血を取寄せておくことは通常行われていなかつたことが認められる。

右のような当時の保存血の供給体制、副作用、保存期間等を考えると、築地産院において、平素又は出産婦のある都度常に保存血を取寄せておかなかつたからといつて、これをもつて控訴人名取に故意又は過失があつたということはできず、これをしなかつたことにつき控訴人東京都に債務不履行があつたということはできない。しかも前記のとおり保存血はDICに対して有効でないので、本件保存血の取寄手配及びその輸血が遅延したとしても、武子のDICによる出血、ショックの発生・悪化及び死亡との間には相当因果関係はないものといわなければならない。

DICの場合、新鮮血を輸血することはその治療に有効であるとされるが、昭和四二年当時DICに関する知識は前記のとおりであり、また、冒頭の証拠によるとき、当時分娩に際し大量出血の予想されるような事態でないのに妊産婦の親族、知人等身近にいる供血可能な者から新鮮血を予め採取しておくとか、又は、採配しうるような態勢をとつておくことは、一般にその必要が認識されていなかつたし、行われてもいなかつたこと、通常出血のない限り分娩に際しての出血は五〇〇cc以下の場合が多く、その程度までであれば身体に特別の症状を生ずることはなく、出血が五〇〇ccを超え一〇〇〇cc位までは輸液によつてすますことが可能であり、むしろ輸液によるべきであるとする者もあつたことが認められる。そして、前記のとおり武子には分娩前輸血を必要とするような具体的事態の発生することが予測される症状はなかつたことが認められるのであるから、控訴人名取が新鮮血の採取ないしは採取しうべき態勢をとらなかつたことに故意又は過失があつたということはできず、これをしなかつた控訴人東京都に債務不履行があつたということはできない。

九子宮膣上部切断手術の適応及び管理

武子の子宮膣上部切断手術は、前記のとおり極度のショック状態と大量出血のなかで施行されたものであるが、しかし、武子をその状態で放置しておけば高度の蓋然性をもつて死を免れえなかつたのであり、万一にも手術により救出することができるかも知れないという止血の最後の手段として、呼吸、一般状態がやゝ好転した機会をみて、本件手術が施行されたのであるから、右手術を施行したことについて控訴人名取に故意又は過失があつたということはできず、また控訴人東京都に債務不履行があつたということはできない。

本件において手術管理に非難すべき点のあつたことについては、これを認むべき証拠はない。

一〇結論

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人らの請求(原審における請求及び当審において附帯控訴によつて拡張された請求)は全部理由がないから棄却を免れず、その一部を認容した原判決は失当である。したがつて、本件控訴は理由があり、附帯控訴(当審において拡張した請求を含む。)は理由がない。

よって、原判決中控訴人ら敗訴部分を取消して右部分につき被控訴人らの請求を棄却し、本件附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(鈴木重信 下郡山信夫 加茂紀久男)

計算式<省略>

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